「おろかである」という意味
親鸞聖人は常に悩まされていた。
欲望という煩悩にである。
20年間比叡山で堂僧として修行を重ねたが29才で比叡山を降りた。
そして、京都の街中にある六角堂に100日籠った、と書いてある。 20年間山で修行か・・・。
このことを持ってしても常人ではあるまい。私にはできない。
六角堂は聖徳太子の建立とされている。
そこで見た夢が聖徳太子からのお告げとある。
もっと言えば「性に対する煩悩」か・・・
青い春を送ったことがある人なら(つまり全員でしょうか・・・)覚えのあることでしょう。
今はいろいろありますので、書くことが正しいのかわかりませんね。
そして法然上人と出会い、勉学に励み頭角を顕していく。
この励む、勤しむという行為は煩悩の裏返しとも言えますね。
その後、時の政権に罪人として越後(今の新潟県)に流罪となる。
師と仰いだ法然上人は四国讃岐へ流罪です。
越後で流人として過ごした親鸞聖人は土豪の娘・恵信尼を妻とし、やがて越後から関東へ布教の旅に出ます。
関東では多くの弟子が育つが、やがて京都へ帰るのです。
60歳で京都に帰る。
今と違って10日以上の旅。
京都で没するのが、90才。
京都では執筆に勤しみ多くの書を著している。
84才の頃に著した書物には「愚禿親鸞84才加筆了」と記しています。
注目するのは、いずれの場面でも明晰な頭脳と類い稀な執筆能力。
そして、平安時代の当時食糧事情も良くなかったであろう時代に90才まで生きたということ。
やがてたどり着いた言葉が「愚禿」 愚とはおろかのこと。
禿とははげでもあるが、かむろを指す。
愚禿の意味はとてつもなく深いと思う。
同時に自分を「おろか」であると言える心境はとてつもなく澄み切っていたのかもしれない。
親鸞聖人は仏教を意識していなかったという話もある。
禅の学者・鈴木大拙が「大巧は拙なるに似たり」と言っている。
老子の第四十五章からの引用とある。
「わたしはおろかな人間です」といつになったら言えるだろうか。
ブログをはじめるにあたり、どこから書いてよいのか分からずとりあえず徒然に書いてみた。
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