そもそも「法然」てどんな人?
親鸞の生涯の師。法然上人。
「ほうねんしょうにん」と読みます。
「親鸞の生涯」を知れば知るほど重要な存在となる法然。
果たしてどのような人物だったのだろう。
山門で天台宗の教学を学び、承安5年(1175年)、四三歳の時、専ら阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説きました。
この年が浄土宗の立教開宗の年とされる所以です。
ですから、のちに法然は浄土宗の開祖と仰がれたと言われています。
この年が浄土宗の立教開宗の年とされる所以です。
ですから、のちに法然は浄土宗の開祖と仰がれたと言われています。
親鸞が法然と出会うのは二九歳の時。
建仁元年(1201年)の春頃、二〇年にもおよんだ比叡山での修行に行き詰まり、京都六⾓堂に百⽇こもりました。
そして聖徳太⼦の⽰現を受け、東山吉水の草庵に法然上人を訪ねます。
この時のお話はまた別の機会でふれるとしましょう。
法然上人絵伝などでは、法然は夢の中で善導と出会い浄土宗開宗を確信したとされています。
これを「二祖対面」と称し、浄土宗では重要な出来事であるとされています。
浄土真宗では、法然を七高僧の第七祖とし、法然上人・源空上人と称し、元祖と位置付けています。
親鸞は、法然を「本師源空」や「源空聖人」と称し、師事できたことを生涯の喜びとしたそうです。
建暦2年(1212年)、⼋〇歳で亡くなります。
法然の様々なエピソードを、この「親鸞ノォト」で紐解いて行きたいと思っています。
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