親鸞の生涯 京都編❶
1201年(二九歳)
京都六⾓堂に百ヶ⽇こもり、聖徳太⼦の⽰現を受け、法然の⾨をたたき、他⼒の念仏者となる。
1202年(三〇歳)
⾃分を救ってくれた弥陀への仏恩報謝のために、活発な布教をはじめる。
九条兼実、法然(七〇歳)を戒師として出家。この年、栄⻄(六⼆歳)建仁寺を建⽴。
1203年(三一歳)
この頃、無名の⼥性と結婚。京の町で「不断煩悩得涅槃・悪⼈正機・同朋同⾏」の救いを説く。
1204年(三二歳)
法然(七⼆越)七ヶ条の誓約書を作り、⾨弟に署名させる。親鸞、綽空の名で署名。この頃、慈信房善鸞⽣まれる。
1205年(三三歳)
「選択本願念仏集」を受ける。法然の肖像の書写を許される。綽空の名を善信と改める。
1206年(三四歳)
興福寺衆徒、法然(七四歳)とその⾨徒が念仏を唱え、他宗を謗しることを訴える。