親鸞の生涯 京都編❷

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1239年(六七歳)

⼀遍(智真)誕⽣。

 

1241年(六九歳)

「唯信鈔」を書写。

 

1242年(七二歳)

道元(四五歳)越前志⽐庄に⼤仏寺(後に、永平寺と改称)開堂供養を⾏う。

 

1246年(七四歳)

「唯信鈔」「⾃⼒他⼒事」を書写。

 

1248年(七六歳)

「浄⼟和讃」「⾼僧和讃」を著作。

 

1250年(七八歳)

「唯信鈔⽂意」を著作。

 

1252年(八〇歳)

「浄⼟⽂類聚鈔」を著作。

 

1253年(八一歳)

道元没(五四歳)。

 

1254年(八二歳)

「唯信鈔」「後世物語聞書」「浄⼟和讃」を書写。

⽇蓮(三三歳)この頃より辻説法を始める。

 

1255年(八三歳)

「⼀念多念分別事」「浄⼟和讃」「浄⼟⽂類聚鈔」を書写。
「浄⼟三経往⽣⽂類」(略本)「愚禿鈔」「皇太⼦聖徳奉讃」を著作。

 

1256年(八四歳)

親鸞、慈信坊善鸞と⽗⼦の縁を切る。
このことを、関東の弟⼦たちに知らせる。
「唯信鈔⽂意」を書写。
恵信、娘の覚信に下⼈を譲る。
「⻄⽅指南抄」を書写。「往相廻向環相廻向⽂類」を著作。

 

1257年(八五歳)

「唯信鈔⽂意」を書写し、弟⼦の顕智・信証に与える。
「浄⼟三経往⽣⽂類」(広本)「如来⼆種廻向⽂」「浄⼟⽂類聚鈔」「⼀念多念⽂意」「唯信鈔⽂意」書写。
「正像末和讃」著作。

 

1258年(八六歳)

「尊号真像銘⽂」(広本)著作。⼜、「正像末和讃」再度著作。
「三部経⼤意」を書写し、弟⼦の慶信に与える。

 

1259年(八七歳)

「選択集延書」を書写。

 

1260年(八八歳)

「弥陀如来名号徳」を書写。

⽇蓮(三九歳)「題⽬抄」を著わす。
⽇蓮、「⽴正安国論」を著わし、幕府に進上する。

 

1261年(八九歳)

⽇蓮(四〇歳)伊⾖伊東に流罪。

 

1262年(九〇歳)

二⽉⼆⼋⽇、親鸞、京都で死す。
娘の覚信、越後国の⺟恵信に知らせる。

 

親鸞・ゆかりの地 京都編❷